乳母および女房たち


日本での家庭教師という概念は平安時代における女房らの働きに見つける事ができます。 女房とは貴族社会で朝廷を含む皇族らに使えていた女官たちの事であり、現代でいう女房とは言語上の使い方がかなり違います。 古代ギリシャでは家庭教師と言えば内容が内容だけに男性知識人が主流でしたが、日本では女性が活躍していました。 仕える相手は子供とは限らず大人も含まれていました。ようは生活全般で世話をする雑用係なのですが、雑用の中に家庭教師としての要素が含まれていた事になります。


やはり住み込みで主人に密着した働きをしており、乳母や秘書あるいは場合によって側室に収まる事もありで、比較的自由に宮中内を行き来していました。 ある意味、誰よりも天皇家にもっとも近い場所にいた人たちであったわけで、皇族たちの赤裸々な生活を物語風に記した源氏物語は、史上最大の名著として現代に受け継がれています。 こうした風習は江戸時代になって将軍家にも受け継がれました。乳母は文字通り代理乳として良質の母乳がでなかった姫君たちに代わって、お世継ぎなる子息子女たちに仕えた女性たちですが、 乳離れした後も教育やしつけを仰せつかる事が一般的でしたから、人格形成にまで多大な影響を与える事も多く、なかには陰で政治を操る女性たちも現れ始めました。


当時の教育への考え方として高位にある女性が我が子の教育に直接携わるのを恥だというものがありましたから、知性的で見識のある他の女性に託す事が当たり前とされていました。 時代によっては結婚した夫婦が乳母の任にあたる事もありました。ようはお世継ぎを一人前の君主として育てる事が使命だったという事になります。